十二年かけて、自分の働き方を見つけるまで
これから書くのは、私が「働く」ということとうまく付き合えるようになるまでの、十二年間の話です。とても長くなります。途中で読むのをやめてもらってもかまいません。それでも、どこかで同じように迷っている人の目に、一行でも届けばいいなと思って書いています。
大学を卒業したのは、景気がいいとは言えない年でした。とにかく内定をもらわなきゃいけない、という気持ちだけで就職活動をしていて、自分が何をしたいのか考える余裕はありませんでした。最終的に入ったのは、中堅の住宅メーカーの営業職です。正直に言えば、内定をくれたのがそこだけだった、というのが一番の理由でした。
住宅の営業は、想像以上に厳しい世界でした。月の契約目標があって、達成できないと朝礼で名前を読み上げられる。休みの日も、お客さんから電話があれば出なければいけない。先輩たちはみんな日焼けしていて、声が大きくて、自信に満ちあふれているように見えました。私はといえば、人見知りで、初対面の人と話すだけで汗をかくタイプです。最初の半年、契約はゼロでした。
一年目の冬、ようやく初めての契約がとれました。若い夫婦で、奥さんのお腹には赤ちゃんがいました。何度も打ち合わせを重ねて、間取りを一緒に考えて、最後に旦那さんが「あなたに担当してもらってよかった」と言ってくれた。その日の帰り道、車の中で一人で泣きました。うれしかったのか、ほっとしたのか、自分でもよくわかりませんでした。
それから数年、私はそれなりに契約をとれる営業になりました。表彰されたこともあります。でも、三年目を過ぎたころから、朝起きるのがつらくなっていきました。数字を追いかけることに、心がついていかなくなったんです。お客さんの人生で一番大きな買い物を、私は「今月の数字」として見ている。そのことが、どうしても自分の中で納得できませんでした。
五年目に会社を辞めました。次に何をするかは決めていませんでした。周りからは「もったいない」「せっかく成績がいいのに」と言われました。母は電話口で黙り込みました。それでも、あのまま続けていたら自分が壊れてしまうという感覚だけは、はっきりありました。
辞めてからの半年は、ほとんど何もしませんでした。昼まで寝て、近所の図書館に行って、夕方に散歩をする。最初の一か月は解放感がありましたが、二か月目からは焦りが出てきました。通帳の残高が減っていくのを見るたびに、胃が痛くなりました。友人たちが仕事の話をしているのを聞くと、自分だけ社会から外れてしまったような気がしました。
図書館で、たまたま手にとった本があります。小さな町の本屋さんの店主が書いたエッセイでした。売上のことよりも、来てくれたお客さんとの会話のことばかり書いてある本でした。読みながら、ああ、私は「売る」ことが嫌いだったんじゃなくて、「人と一緒に何かを考える」ことは好きだったんだ、と気づきました。住宅の営業で一番うれしかったのも、契約がとれた瞬間ではなく、お客さんと一緒に間取りを考えている時間でした。
そこから、少しずつ動き始めました。といっても、すぐに天職が見つかったわけではありません。次に入ったのは、地域の NPO の事務スタッフでした。給料は前の会社の半分ほど。仕事の内容も、書類の整理やイベントの準備など、地味なものばかりでした。でも、地域の人たちと一緒に、子ども食堂の運営や、高齢者の見守り活動の企画を考える時間は、私にとってとても大切なものになりました。
NPO には四年いました。やりがいはありましたが、生活は苦しかった。結婚を考えていた相手もいて、このままの収入で暮らしていけるのか、二人で何度も話し合いました。結局、私はもう一度転職を決めます。今度は、住宅メーカー時代の経験と、NPO で学んだことの両方を生かせる場所を探しました。
見つけたのは、自治体と一緒に空き家の活用を進める小さな会社でした。空き家の持ち主と、そこを使いたい人をつなぐ仕事です。住宅の知識が必要で、地域の人たちとの調整も必要。面接で、住宅営業の話と NPO の話をしたら、社長が「回り道してきた人が欲しかった」と言ってくれました。
今、その会社で働き始めて三年になります。空き家だった古い家が、地域のカフェや、若い家族の住まいとして生まれ変わっていくのを見るのは、何度経験してもうれしいものです。持ち主のおばあさんが、思い出の詰まった家を誰かに託すときの、少し寂しそうで、でもほっとしたような顔。新しく住む人が、柱の傷を見つけて「前の人の家族の歴史ですね」と笑う顔。そういう瞬間に立ち会えることが、今の私の仕事の一番の報酬です。
振り返ると、十二年かかりました。最初の会社で、もっと早く辞めていればよかったのか。NPO に行かずに、すぐに次の会社を探していればよかったのか。考えたことはあります。でも、住宅営業の五年間がなければ、今の仕事に必要な知識はなかった。NPO の四年間がなければ、地域の人たちと話す力はなかった。何もしなかった半年がなければ、自分が本当に好きなことに気づけなかった。どれか一つでも欠けていたら、今の私はここにいなかったと思います。
だからといって、遠回りをすすめたいわけではありません。遠回りの途中は、本当につらかった。お金の不安も、将来の不安も、周りと比べてしまう苦しさも、全部ありました。あのとき、誰かに「大丈夫、ちゃんと道になるから」と言われても、たぶん信じられなかったと思います。
それでも、もし今、仕事のことで迷っている人がいたら、一つだけ伝えたいことがあります。今いる場所でうまくいかないことが、あなたの価値のすべてではない、ということです。私は人見知りで、数字を追うのが苦手で、営業には向いていなかった。でも、人と一緒に考えることは好きだった。向いていないことの中に、自分の好きなことのかけらが隠れていることもあります。
今の仕事を一生続けるのかどうかは、まだわかりません。また何かのきっかけで、働き方を変える日が来るかもしれない。でも、もう昔ほど怖くはありません。道は一本じゃないし、途中で曲がっても、ちゃんと続いていくことを、十二年かけて知ったので。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。あなたの道も、どうか、あなたのペースで続いていきますように。
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