長い長い、私の仕事の話

遠回りの名人(50代)さんの歩き方

人に話すような立派な経歴ではありません。でも、ここなら書いてもいいかなと思って、長くなりますが書いてみます。

高校を出て、最初に就いたのは地元の印刷会社でした。インクのにおいが好きで、刷り上がったチラシを束ねる作業が好きでした。でも二十三歳のとき、会社が大手に吸収されて、私のいた工場はなくなりました。

次は、知り合いの紹介で建設会社の事務に入りました。数字を扱う仕事は初めてで、最初は電卓を叩くたびに手に汗をかいていました。ここには十年いました。結婚して、子どもが生まれて、仕事と家のことを回すだけで精一杯の十年でした。辞めたのは、夫の転勤が理由です。

転勤先の町では、知り合いが一人もいませんでした。子どもが小さかったので、近所のスーパーでパートを始めました。レジ、品出し、惣菜づくり。誰とでもできる仕事だと思われるかもしれませんが、私はここで初めて「職場の仲間」というものを持った気がします。年齢も事情もばらばらの女性たちと、休憩室でお茶を飲みながら、家のこと、子どものこと、自分のこと、いろんな話をしました。

四十歳を過ぎて、夫がまた転勤になりました。今度は私は一緒に行きませんでした。単身赴任です。そのころ、パート仲間の一人に誘われて、介護の資格をとりました。勉強なんて二十年ぶりで、テキストの文字がなかなか頭に入ってきませんでしたが、仲間と励まし合いながら、なんとか合格しました。

介護の仕事は、想像していたよりずっと大変でした。体力的にもきつかったし、利用者さんが亡くなったときは、帰り道に車の中で泣きました。それでも、ある利用者さんが私の名前を覚えてくれて、「あんたが来ると安心する」と言ってくれたとき、ああ、私はこの仕事に出会うために遠回りしてきたのかもしれない、と思いました。

今は介護の仕事を始めて十二年になります。腰を痛めてしまい、今年から事務と現場を半分ずつにしてもらいました。若いころに建設会社でやった事務の経験が、ここで役に立っています。印刷会社で覚えた、紙をきれいにそろえるコツも、なぜか今の書類整理に生きています。

振り返ると、何一つ計画どおりではありませんでした。夢を持って選んだ仕事も、ほとんどありません。会社がなくなったり、引っ越したり、誘われたり、その時々の事情で、流されるように仕事を変えてきました。

でも、流されてきたからこそ、出会えた人がたくさんいます。印刷会社の工場長、建設会社の厳しかった経理の先輩、スーパーの休憩室の仲間たち、介護の資格を一緒にとった友人、そして、私の名前を覚えてくれた利用者さんたち。

若い人に何か言えるとしたら、「計画どおりじゃなくても、ちゃんと道になる」ということくらいです。私の歩いてきた道は、きれいなまっすぐの道ではなく、あっちこっちに曲がった、遠回りばかりの道でした。それでも、振り返ると、ちゃんと一本の道になっていました。

長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

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