心と体の、長い付き合い

波のあと(40代)さんの歩き方

私は二十代の終わりにうつ病と診断されて、それから十五年近く、心の病気と付き合いながら生きてきました。今日は、その長い時間のことを書いてみようと思います。もし今、同じようにしんどい人がいたら、どうか無理せず、読めるところまで読んでください。そして、苦しいときは、ひとりで抱えずに医療機関や相談窓口に話してください。

最初に異変に気づいたのは、朝のコーヒーの味がしなくなったときでした。毎朝楽しみにしていたコーヒーが、ただの苦いお湯にしか感じられない。それから、好きだった音楽を聴いても何も感じなくなり、休日に何をしても楽しくなくなりました。仕事のミスが増えて、上司に注意されるたびに、自分はだめな人間だという思いが強くなっていきました。

病院に行ったのは、症状が出始めてから半年以上たってからでした。行けば何かが決定的に変わってしまう気がして、怖かったんです。でも、ある朝、駅のホームで電車を待っているときに、自分がとても危うい考えをしていることに気づきました。その日のうちに、会社を休んで病院に行きました。

診断を受けて、休職しました。最初の数か月は、本当に何もできませんでした。お風呂に入るのも、ご飯を食べるのも、すべてが重労働でした。家族は心配してくれましたが、何と声をかけていいかわからない様子で、それがまた申し訳なくて、つらかった。

薬が効き始めて、少しずつ動けるようになったのは、休職から三か月ほどたってからです。主治医に言われて、毎日決まった時間に起きて、近所を散歩するようにしました。最初は五分。それが十分になり、三十分になりました。散歩の途中で、公園のベンチに座って空を見上げたとき、久しぶりに「きれいだな」と思えた。その瞬間のことを、今もはっきり覚えています。

半年後に復職しましたが、それで終わりではありませんでした。この病気には波があります。調子がいい時期が続いて、もう大丈夫だと思っていると、また落ち込む時期が来る。三十代の間に、私は二度、再び休職しました。そのたびに、また振り出しに戻ったような気がして、絶望しました。

二度目の休職のとき、主治医に言われた言葉があります。「振り出しに戻ったんじゃないですよ。前より早く、ご自分の不調に気づけたじゃないですか」。たしかに、一度目は半年以上我慢していたのに、二度目は一か月で病院に行けました。少しずつだけれど、自分の心の扱い方を覚えてきていたんです。

それから、私は自分の「波」を記録するようになりました。毎日、気分を五段階でつけて、睡眠時間と、その日あったことを一行だけメモする。数年分の記録を見返すと、季節の変わり目や、仕事が忙しくなる時期に、決まって落ち込むことがわかりました。わかっていれば、準備ができます。その時期は予定を詰めすぎない、早めに主治医に相談する、家族に「そろそろ波が来るかも」と伝えておく。

仕事も変えました。前の会社は、深夜まで働くのが当たり前の職場でした。今の職場は、残業が少なく、体調に合わせて休みを取りやすいところです。給料は少し下がりましたが、長く働き続けられることのほうが、私には大事でした。

家族との関係も変わりました。最初は、病気のことをどう説明すればいいかわからず、ぎくしゃくしていました。主治医のすすめで、家族向けの説明会に妻と一緒に参加してから、妻は私の状態を前よりずっと理解してくれるようになりました。調子が悪いときに、無理に励ますのではなく、そっとしておいてくれる。それが、どれだけありがたいか。

四十代になった今も、病気が治ったわけではありません。薬も飲み続けていますし、波もときどき来ます。でも、波が来ても、前ほど怖くはなくなりました。波はいつか引くことを、経験で知っているからです。

心の病気になって、失ったものはたくさんあります。キャリアも、何年分かの時間も、自信も。でも、得たものもあります。自分の心と体の声を聞く力。弱っている人の気持ちを想像する力。そして、何でもない一日の、何でもない美しさに気づく力。公園のベンチで空を見上げたあの日から、私は小さな「きれいだな」を、少しずつ集めて生きています。

今、つらい時期にいる人へ。今は何も感じられなくても、何もできなくても、それはあなたが弱いからではありません。どうか、ひとりで抱えずに、誰かに話してください。病院でも、相談窓口でも、信頼できる人でもかまいません。私は、話したことで、少しずつ生き延びることができました。

長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。

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