学ぶことの、長い話
私は七十三歳です。中学を出てすぐに働き始めたので、それ以上の学校には行っていません。そんな私が、六十五歳で夜間中学に入り、今は通信制の高校で勉強しています。その話を書いてみます。長くなります。
私が生まれたのは、戦後まもない、小さな農村でした。家は貧しくて、兄弟は六人。私は上から三番目でした。中学を卒業すると、すぐに町の工場に働きに出ました。本当は高校に行きたかった。勉強が好きだったんです。でも、家にそんな余裕はありませんでした。担任の先生が家に来て、「この子は勉強ができるから、高校に行かせてやってほしい」と両親に頭を下げてくれたことを、今も覚えています。両親は、黙って首を横に振りました。
工場では、朝から晩まで働きました。同じ年ごろの子が制服を着て学校に通っていくのを、工場の窓から見ていました。悔しかった。でも、それを口に出すことはできませんでした。家族のために働くのが当たり前の時代でした。
やがて結婚して、子どもが三人生まれました。子育てと仕事に追われて、自分が勉強したかったことなんて、すっかり忘れていました。子どもたちには、自分のような思いをさせたくなくて、三人とも高校と大学に行かせました。そのために、夫婦で必死に働きました。
子どもたちが独立して、夫も定年を迎えて、ようやく時間ができたのは、六十代になってからでした。ある日、新聞で夜間中学の記事を読みました。いろんな事情で十分に学べなかった人が、年齢に関係なく学べる場所だと書いてありました。記事を読みながら、五十年前の悔しさが、胸の奥からよみがえってきました。
夫に相談すると、「行ってこい」と言ってくれました。六十五歳の春、私は夜間中学の門をくぐりました。教室には、十代の外国から来た子どもから、八十代のおばあさんまで、いろんな人がいました。最初の授業は国語でした。先生が黒板に書いた漢字を、ノートに写す。それだけのことなのに、手が震えました。五十年ぶりの授業でした。
夜間中学の三年間は、本当に楽しかった。数学の方程式が解けたとき、英語で自己紹介ができたとき、理科の実験で色が変わったとき。若いころには味わえなかった喜びを、一つひとつ噛みしめました。クラスメイトのおばあさんとは、帰り道にいつも、その日に習ったことを話しました。「この年で、こんなに楽しいことがあるなんてね」と、二人でよく笑いました。
卒業式の日、担任の先生に「高校にも行ってみませんか」と言われました。正直、迷いました。もう七十歳近い。体力も記憶力も落ちている。でも、あの中学の担任の先生が、両親に頭を下げてくれた日のことを思い出しました。あの先生が見たかった景色を、自分の目で見てみたい、と思いました。
今、私は通信制の高校で勉強しています。月に数回のスクーリングと、毎月のレポート。若い人なら一晩で書けるレポートに、私は一週間かかります。辞書を引いて、教科書を何度も読み返して、ようやく書き上げる。それでも、提出したレポートに先生から丸がついて返ってくると、子どものようにうれしくなります。
夫は三年前に亡くなりました。夫は、私が夜間中学に通い始めたころから、毎晩、私の宿題を一緒に見てくれました。夫も、中学しか出ていない人でした。「お前が勉強してくれると、俺も一緒に勉強している気になる」と言っていました。高校の卒業証書を、夫に見せることはできません。でも、仏壇の前で、毎晩その日に習ったことを報告しています。
あと一年で、高校を卒業できる予定です。七十四歳の卒業です。卒業したら何をするのか、と孫に聞かれました。正直、まだわかりません。もしかしたら、また何か新しいことを学び始めるかもしれない。学ぶことに、終わりはないと思うので。
学びたいと思っているけれど、もう遅いと思っている人がいたら、伝えたいことがあります。遅すぎることは、たぶん、ないです。私は五十年遅れて、学び直しを始めました。それでも、今が一番楽しいと胸を張って言えます。
長い話を読んでくださって、ありがとうございました。今夜も、これからレポートの続きを書きます。
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