嫌われてもいいと思えるまでの、十年間の記録

ほどけた結び目(30代)さんの歩き方

これは、私が「人に嫌われること」を怖がらなくなるまでの、十年ほどの話です。とても長いので、お茶でも飲みながら、気が向いたところだけ読んでもらえたらうれしいです。

二十歳のころの私は、とにかく人に嫌われるのが怖い人間でした。大学のサークルでは、誰かが不機嫌そうにしていると、その日一日、自分が何かしたんじゃないかと考え続けていました。飲み会に誘われたら、行きたくなくても必ず行く。頼まれごとは、どんなに忙しくても引き受ける。誰かの悪口が始まったら、本当はそう思っていなくても、相づちを打つ。そうやって、誰の敵にもならないように、細心の注意を払って生きていました。

その結果、私の周りにはたくさんの「知り合い」がいました。でも、本当に心を許せる「友達」は、一人もいなかったと思います。みんなが知っているのは、愛想がよくて、何でも引き受けてくれる、便利な私。本当の私が何を考えているのか、何が好きで何が嫌いなのか、誰も知らなかった。というより、私自身もよくわかっていませんでした。

就職してからも、その癖は変わりませんでした。むしろ、会社という場所では、誰にでもいい顔をすることが評価されることもあって、私はますます「いい人」を演じるようになりました。上司の無茶な頼みも断らない。同僚の仕事も手伝う。取引先の理不尽な要求にも、笑顔で応える。社内での評判は悪くありませんでした。でも、家に帰ると、毎晩ぐったりと疲れて、何もする気が起きませんでした。

二十六歳のとき、限界が来ました。ある朝、会社に行こうとしたら、玄関で靴を履いたまま動けなくなったんです。涙が止まらなくて、その日は会社を休みました。次の日も、その次の日も。病院に行くと、心がとても疲れていると言われ、しばらく休むことになりました。

休んでいる間、会社の人から何通かメッセージが来ました。「大丈夫?」「ゆっくり休んでね」。でも、その中に一通、「急に休まれると困るんだけど」というものがありました。私が一番、仕事を手伝ってきた同僚からでした。それを読んだとき、私は不思議と、怒りも悲しみも感じませんでした。ただ、ああ、そうか、と思いました。どんなに頑張って、どんなにいい人でいても、嫌う人は嫌うし、都合よく使う人は使う。私が必死に守ってきたものは、最初からそんなに確かなものではなかったんだ、と。

休職中、カウンセラーの先生と話す時間がありました。先生は、私の話をじっくり聞いたあと、こう聞きました。「あなたが一番、嫌われたくないのは誰ですか」。私は答えに詰まりました。全員に嫌われたくなかった。でも、全員って、誰なんだろう。考えていくうちに、私が本当に大事にしたい人は、ほんの数人しかいないことに気づきました。家族と、高校時代からの友人が一人。それだけでした。

先生は言いました。「その数人に嫌われないために、他の全員に好かれる必要はありますか」。もちろん、ありませんでした。むしろ、全員に好かれようとして疲れ果てて、その数人との時間すら持てなくなっていた。何のために頑張っていたのか、わからなくなりました。

復職してから、私は少しずつ練習を始めました。最初の練習は、行きたくない飲み会を断ることでした。「すみません、今日は予定があって」。たったそれだけのことを言うのに、心臓がばくばくしました。断ったあと、何か言われるんじゃないかと、一晩中気になって眠れませんでした。でも、翌日、誰も何も言いませんでした。拍子抜けするほど、何も起きなかったんです。

次の練習は、無理な頼みを断ることでした。これは、もっと難しかった。「それは今週中には難しいです」と言ったとき、相手が不機嫌になるのがわかりました。私の中で、昔の私が「謝れ、引き受けろ」と叫んでいました。でも、ぐっとこらえました。相手はしばらく不機嫌でしたが、結局、別の人に頼んだようでした。世界は終わりませんでした。

そうやって、一つずつ、小さな「嫌われるかもしれないこと」をやってみました。自分の意見を言う。興味のない話題には、無理に乗らない。悪口には、加わらない。そのたびに、少しずつ、離れていく人がいました。正直、寂しかった。でも、不思議なことに、残った人たちとの関係は、前よりずっと楽になっていきました。

三十歳になるころ、職場に、ある後輩が入ってきました。その後輩は、まるで昔の私のように、誰にでもいい顔をして、何でも引き受けて、いつも疲れた顔をしていました。ある日、残業している後輩に、私は声をかけました。「それ、明日でいいんじゃない?」。後輩は驚いた顔をして、それから少し泣きそうな顔で笑いました。その顔を見て、私は、昔の自分に声をかけているような気持ちになりました。

今、私は三十代の半ばです。人に嫌われることが、まったく怖くなくなったわけではありません。今でも、誰かが不機嫌そうにしていると、少しだけ心がざわざわします。でも、そのざわざわを、昔ほど大きく感じなくなりました。嫌われても、私の価値が下がるわけではない。私を大事にしてくれる人は、ちゃんといる。そう思えるようになったからです。

友達の数は、二十歳のころより、ずっと少なくなりました。でも、今の友達とは、本音で話せます。好きなものを好きと言えて、嫌なことを嫌と言える。けんかもします。でも、けんかしても、ちゃんと仲直りできる。そういう関係が、こんなに心地いいものだとは、二十歳の私は知りませんでした。

もし今、昔の私のように、嫌われるのが怖くて疲れ果てている人がいたら、伝えたいことがあります。全員に好かれなくても、大丈夫です。むしろ、全員に好かれようとすると、本当に大事な人との時間がなくなってしまう。あなたを大事にしてくれる人は、あなたが少しくらい断っても、少しくらいわがままを言っても、ちゃんとそばにいてくれます。そして、もし心や体が限界を感じているなら、どうか一人で抱えずに、病院や相談窓口に話してみてください。私も、そこから歩き直すことができました。

長い文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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