母と私の、四十年分の手紙

引き出しの奥(40代)さんの歩き方

母が亡くなって、遺品を整理していたら、たんすの一番下の引き出しから、紙袋に入った手紙の束が出てきました。私が子どものころから母に書いた手紙と、母が私に書いたけれど出さなかった手紙でした。これは、その手紙を読みながら、私が母と過ごした四十年を思い返した話です。長くなりますが、書かせてください。

いちばん古い手紙は、私が幼稚園のときに書いたものでした。クレヨンで「ママだいすき」とだけ書いてあって、その横に、髪の長い女の人の絵が描いてありました。母は、それをきれいにたたんで、封筒に入れて取っておいたようです。封筒の裏には、母の字で日付が書いてありました。

母は、決して優しいだけの人ではありませんでした。厳しくて、口うるさくて、私が小学生のころは、毎日のように宿題のことで怒られていました。父は仕事で帰りが遅く、家のことはほとんど母がひとりで回していました。今思えば、余裕なんてなかったんだと思います。でも子どもの私には、母はいつも怒っている人に見えていました。

小学校の高学年になると、私は母にあまり手紙を書かなくなりました。その代わり、引き出しには母が書いた手紙が増えていきます。出さなかった手紙です。読んでみると、私がけんかをして帰ってきた日の夜に書いたものがありました。「今日はひどいことを言ってごめんね。あなたが悪くないことは、本当はわかっていました」。私は覚えていません。母はたぶん、言えなかったことを手紙に書いて、そのまましまっておいたのだと思います。

中学生のころ、私と母の関係は最悪でした。何を言われても反発して、部屋に閉じこもって、ほとんど口をききませんでした。その時期の母の手紙は、数が多くて、どれも短いものでした。「今日もあまり話せませんでした」「あなたの好きなハンバーグを作りましたが、食べてくれませんでした」「どう接したらいいのか、わかりません」。読みながら、胸が締めつけられました。あのころの私は、母がこんなふうに悩んでいたなんて、想像もしていませんでした。

高校を出て、私は家を離れて都会の大学に進みました。一人暮らしを始めて、初めて母の大変さが少しだけわかりました。洗濯物はたまるし、ご飯は毎日同じものになるし、部屋はすぐに散らかる。母は、これを家族四人分、毎日やっていたのか。そう思ったら、急に母に手紙を書きたくなりました。何年ぶりかに書いた手紙には、「いつもご飯を作ってくれて、ありがとう」とだけ書きました。照れくさくて、それ以上は書けませんでした。

その手紙も、ちゃんと引き出しに入っていました。封筒の裏には、母の字で「初めてお礼を言われた」と書いてありました。それを見たとき、私は遺品の整理をしていた手を止めて、しばらく動けませんでした。

社会人になって、私は仕事に追われる毎日を送るようになりました。母とは、年に二回、お盆とお正月に会うくらい。電話もたまにしかしませんでした。母からは、季節の変わり目になると手紙が届きました。「寒くなったので風邪をひかないように」「お米を送りました」。私はそれを読んで、返事を書くこともなく、引き出しにしまっていました。今思えば、なんてもったいないことをしていたんだろうと思います。

三十代の半ばに、私は体調を崩して、仕事を休むことになりました。誰にも言えずにいたのですが、母は電話の声で何かを察したようでした。数日後、母から分厚い手紙が届きました。そこには、母自身が若いころ、子育てと義父母の介護で心身ともに限界になったときの話が書いてありました。母がそんな経験をしていたことを、私はそのとき初めて知りました。手紙の最後には、こう書いてありました。「休むことは、負けることじゃない。お母さんも、休んで、また歩けるようになったから」。

その手紙は、今も私の机の引き出しに入っています。つらいときに何度も読み返しました。母が亡くなったあと、引き出しの手紙の束の中に、その手紙の下書きが入っていました。何度も書き直した跡がありました。母は、たった一通の手紙を書くために、何日もかけていたんだと思います。

母が病気になったのは、私が四十歳になった年でした。入院した母を見舞うたびに、私は母と、たくさん話をしました。子どものころの話、母の若いころの話、父の話。中学生のころ、母にひどい態度をとっていたことを謝ると、母は笑って「そんなこともあったね」と言いました。母は、もう許していたのか、それとも最初から怒っていなかったのか。たぶん、その両方だったんだと思います。

最期の数週間、母は手紙を書く力もなくなっていました。私は、毎日、病室で母に手紙を読み上げました。昔、私が書いた手紙を、母が取っておいてくれていたことは、まだ知りませんでした。だから私は、新しく書いた手紙を読みました。母が私にしてくれたこと、私が母に言えなかったこと。母は目を閉じて聞いていて、ときどき小さくうなずいていました。

母が亡くなったあと、引き出しから手紙の束が出てきたとき、私は、母と私の間には、言葉にならなかった会話がたくさんあったんだと知りました。母は、言えなかったことを手紙に書いて、しまっておいた。私は、言えなかったことを、言わないまま大人になった。それでも、手紙の束は、四十年分の私たちの会話でした。

今、私には娘がいます。娘は小学生で、私によく怒られています。昔の母と同じように、私も余裕がなくて、つい口うるさくなってしまう。そんな夜、私は時々、娘に宛てた手紙を書いています。出すかどうかは決めていません。母と同じように、引き出しにしまっておくのかもしれない。

でも、ひとつだけ母と違うことをしようと決めています。言えることは、言葉にして伝えること。ありがとう、ごめんね、大好きだよ。手紙に書くのもいいけれど、顔を見て言える言葉は、顔を見て言おうと思っています。母が教えてくれた、いちばん大切なことだと思うので。

長い話を、最後まで読んでくださってありがとうございました。もし、あなたにも言えずにいる言葉があるなら、手紙でも、短いメッセージでもいいので、伝えてみてください。私は、それを母に教えてもらいました。

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